ANMELDEN救急車が到着すると、美玲は担架へ乗せられた。
怜司は迷うことなく、その隣へ付き添った。
沙耶もあとを追おうと階段を下りたが、玄関ホールへ降りきったところで、下腹部に鈍い痛みが走る。
「……っ」
息を詰め、とっさに腹部へ手を添えた。
今までとは違う痛みに、一瞬だけ不安がよぎる。
けれど、少し休めば治まるかもしれない。
そう自分に言い聞かせた。
怜司は振り返らなかった。
視線は担架の上の美玲へ向けられたままだった。
そのことが、なぜか痛みよりも胸に残った。
救急隊員が美玲を運び出したあと、怜司がようやく沙耶へ向き直る。
「沙耶」
冷えた声だった。
「病院へ来い。事情を説明してもらう」
沙耶はすぐには答えなかった。
頭の中に残っているのは、美玲が落ちた瞬間だけではない。
玄関へ帰ろうとせず、自分から階段へ上がったこと。
逃げたいと言いながら、途中で一段下りて距離を縮めたこと。
身体の陰へ隠したスマートフォン。
そして、美玲が何かを送った直後に現れた怜司。
「その前に、一つ聞いてもいいですか」
怜司の眉が動く。
「何だ」
「あのとき、どうしてあなたが来たのですか」
「どういう意味だ」
「美玲さんがここへ来ることを、知っていたのですか」
怜司の表情が硬くなる。
沙耶は先に言葉を重ねた。
「あなたが美玲さんと示し合わせていたと言いたいわけではありません。ただ、偶然にしては出来すぎています」
少しの沈黙のあと、怜司が答えた。
「美玲からメッセージが来ていた」
「メッセージ?」
「これから君に会いに行く。離婚のことを、きちんと話してくる、と」
胸の奥がざわついた。
「いつ届いたのですか」
「すぐには気づかなかった。あとで見て、勝手なことをするなと電話した」
「美玲さんは出たのですか」
「いや」
怜司の声に苛立ちが混じる。
「何度か呼び出したが、出なかった。それで家へ向かった」
沙耶は階段の上で見た光景を思い返す。
「そのあとに、もう一通届いたのですか」
怜司の目がわずかに細められた。
「ああ。こっちへ向かっている途中でな」
「何と?」
「『怖い……来て』と」
指先が冷えた。
あのときだ。
美玲が手を身体の陰へ隠し、スマートフォンを操作していた。
「では、美玲さんは、あなたがもうこちらへ向かっていることは知らなかったのですね」
「伝えていない」
沙耶は黙った。
美玲は怜司がすでに来ると知って階段へ上がったわけではない。
けれど、その前にわざわざ「奥様に会いに行く」と知らせている。
あとから怜司がその連絡を見れば、気にするかもしれない。連絡がつかなければ、様子を見に来るかもしれない。
そう期待していたのだとしたら。
「……美玲さんは、あなたが来る可能性を考えていたのかもしれません」
「何?」
「だから階段へ上がった。私に追い詰められているように見える場所を、自分から選んだのかもしれない」
怜司の顔が険しくなった。
「今は憶測を話している場合じゃない」
「分かっています。でも、彼女の動きは不自然でした」
「病院へ来い」
怜司はそれ以上の会話を切った。
沙耶も続けなかった。
今の怜司に、美玲の行動を疑う言葉は届かない。
それだけは分かった。
◇◇◇
少し遅れて病院へ向かうと、美玲はすでに診察を終えていた。
骨折はなく、右足首の捻挫と全身の打撲。
大きな怪我ではないと聞き、沙耶は胸の奥で息を吐いた。
憎い相手だからといって、重傷を負えばいいなどと思ってはいない。
病室へ入る。
美玲はベッドの上にいた。
その手は、隣に座る怜司の手を握っている。
二人の姿を見た瞬間、沙耶は自分だけがそこにいるべきではない人間のような感覚に襲われた。
「美玲へ謝れ」
怜司が言った。
沙耶は一瞬、意味が分からなかった。
「……なぜ、私が?」
「押したからだ」
胸の奥が冷えた。
「押していません」
「まだ否定するのか」
「美玲さんは、自分で身体を後ろへ倒したんです」
「そんなことをする理由がない」
「私にも、人を階段から突き落とす理由はありません」
「離婚を急かされた」
怜司は迷わず言った。
「高瀬との関係を守るために、美玲を排除しようとしたとも考えられる」
沙耶は言葉を失った。
一瞬、本当に聞き間違えたのかと思った。
高瀬を守るために。
だから人を階段から落とした。
怜司の中で、自分はそこまでのことができる人間なのか。
「あなたは……本気でそう思っているのですね」
怜司は答えなかった。
その沈黙が、何より残酷だった。
三年間そばにいた。
愛されてはいなかった。
それでも、自分がどんな人間かくらいは知ってくれていると思っていた。
その程度の信頼さえ、なかったのだ。
沙耶は震えそうになる声を抑えた。
「防犯カメラを確認してください」
怜司の眉が動く。
「玄関と階段のあたりは映っているはずです。少なくとも、私たちがどこに立って、どう動いたかは確認できます」
美玲の指が、怜司の手を強く握った。
「怜司さん……もういいの」
か細い声だった。
「警察沙汰にはしたくありません。奥様も、感情的になっていただけだと思うから」
まるで、自分が許す側であるかのような言葉だった。
沙耶の胸に怒りが込み上げる。
「私は謝るべきことなど何もしていません」
「沙耶」
怜司の声に苛立ちが混じる。
「美玲は大事にしないと言っている。これ以上、騒ぎを大きくするな」
「騒ぎを大きくしたくないからこそ、映像を確認すればいいのではありませんか」
「美玲が嘘をついていると言うのか」
「そう言っています」
沙耶は怜司をまっすぐ見た。
「私は触れていません。美玲さんは自分から落ちました。私の言葉が信じられないなら、それでも構いません」
一度、息を整える。
「でも、それなら美玲さんの言葉も信じないでください」
怜司の目がわずかに揺れた。
「誰か一人の言葉を選ぶのではなく、事実を確認してください」
「さっきから、美玲が俺を呼んだことまで持ち出している」
怜司の声が低くなる。
「まだ俺まで疑っているのか」
「違います」
沙耶は首を振った。
「あなたが一緒に仕組んだなんて思っていません。私は、美玲さんがあなたに何を見せようとしていたのかを疑っているんです」
怜司は黙った。
けれど、カメラを確認すると言わなかった。
そのとき、腹の奥に再び鈍い痛みが走った。
沙耶は息を詰める。
手を添えそうになり、寸前で止めた。
美玲の視線が、一瞬だけ沙耶の腹部へ落ちる。
分かっている。
あの女は、もう妊娠を知っている。
それでも怜司には、こんな形で知られたくなかった。
自分が夫を引き止めるために子供を使っているような言葉で、美玲の口から先に伝えられることだけは耐えられない。
沙耶は痛みを堪え、背筋を伸ばした。
「謝罪するつもりはありません」
「沙耶」
「何もしていないからです」
声はもう震えなかった。
「離婚届には、明日署名します」
怜司の表情が強張る。
「今夜中に荷物をまとめます。明日の朝、家を出ます」
「勝手に決めるな」
その言葉に、沙耶は一瞬だけ目を見開いた。
それから、ひどく静かな気持ちになった。
「離婚を望んだのは、あなたでしょう」
怜司は何も言わなかった。
沙耶は背を向ける。
病室の扉へ手をかけたところで、足を止めた。
振り返る。
「最後に、もう一度だけ言います」
怜司を見る。
「防犯映像を確認してください」
返事はなかった。
沙耶は扉を開けた。
真実は、すぐ手の届く場所にあった。
それでもその日、怜司は元の録画まで確かめようとはしなかった。
翌日、高瀬メディカルの検査室から届いた資料が、応接室の机いっぱいに広げられた。沙耶の向かいには、佐伯と相川が座っている。宗一郎は朝から取引先と大学病院への説明に回っていた。本来なら、自分も会社へ行きたかった。けれど医師からは、まだ外出を控えるよう言われている。皆が高瀬を守るために動いているのに、自分だけが家で待っている。そのことが、沙耶にはもどかしかった。「検査機器に残っていた元データは、すべて保全できました」佐伯が厚いファイルを開いた。「社内サーバーの記録も複製して、別の場所へ保存しています。正式記録そのものに、削除や書き換えの痕跡はありません」「……よかった」思わず声が漏れた。まだ安心するには早い。それでも、高瀬が不正をしていないと証明できる記録が残っていた。それだけで、張りつめていた胸がわずかに緩んだ。沙耶は、黒崎側から示された検査表と、高瀬に残る正式な記録を並べた。書式はよく似ている。機体番号も、担当者の名前も一致していた。けれど、試験日時と測定結果が違う。「この時間に、耐久試験は行われていないのですね」「はい」佐伯は黒崎側の資料に記された時刻を指した。「こちらでは、午後二時十二分から試験を開始したことになっています」続いて、高瀬側の記録へ指を移す。「ですが、その時間は検査機器の定期点検中でした」「点検中なら、試験には使えない?」「電源が入っていても、測定はできません。外部の保守会社が精度確認をしていました」つまり、その時間に正式な耐久試験を行うことはできない。沙耶は偽られた検査表を見つめた。怜司も、これを見たのだろう。一見すれば、本物にしか見えない。人の命に関わる製品なのだから、安全性に疑いがあれば止める。その判断そのものは理解できた。理解できるからこそ、胸が痛む。なぜ、一度でも高瀬へ確かめてくれなかったのだろう。なぜ、自分たちの説明を聞く前に停止を承認したのだろう。「点検した記録は、外部にも残っていますか」「保守会社のサーバーにあります」沙耶は顔を上げた。「証明書を出してもらえますか」「すでに依頼しています。ただ、正式な書類になると数日はかかるそうです」数日。今の高瀬には、その数日さえ長い。検査不正の疑いが広がれば、大学病院だけでは済まない。ほかの医療機関から説明を
翌朝、相川が高瀬メディカル本社から持ち帰った封筒には、黒崎グループ品質保証本部の名が記されていた。沙耶は自室のソファに腰を下ろしたまま、宗一郎と佐伯が見守る前で封を切った。書面の件名を見た瞬間、指が止まる。共同開発品における検査記録改ざんの疑義について。「……改ざん?」これまで黒崎側から示されていたのは、高瀬が提出した検証資料に確認を要する点があり、安全性が確認できるまで部品供給を停止するという説明だけだった。検査記録そのものが改ざんされた可能性がある。そこまで具体的な疑いを突きつけられたのは、初めてだった。沙耶は続きを追う。試作機の耐久試験結果に不自然な数値があること。一部工程について、実施を確認できないにもかかわらず完了扱いとなっていること。そのため安全性の確認が取れるまで、関連部品の供給および追加研究費の支出を継続して停止すること。そして末尾の決裁欄には、黒崎怜司の名があった。「怜司さんが、承認したのですね」宗一郎の表情が険しくなる。「少なくとも、正式な決裁を経た措置なのは間違いあるまい」沙耶はしばらく、その名を見つめた。人命に関わる疑いがあるなら、確認が取れるまで止める。その判断自体は理解できる。理解できるからこそ、胸が痛んだ。怜司は、この資料を見た。そして高瀬を止めることを選んだ。「問題とされている記録を見せてください」佐伯が別紙を差し出した。沙耶は一枚ずつ目を通す。耐久試験の数値。実施日時。担当者名。承認欄。見慣れた高瀬の書式だった。社名を隠して見せられれば、社内文書だと疑わなかったかもしれない。だが佐伯は、数秒見ただけで眉を寄せた。「これは違います」「何がですか」「まず日付です。この試作機の耐久試験をしたのは、こ
高瀬メディカルへの部品供給を停止してから、数日が過ぎていた。黒崎グループ本社の執務室で、怜司は机の上に置かれた報告書をもう一度開いた。高瀬が作成したとされる検証記録。耐久試験の数値に不自然な食い違いがあり、一部には実施された形跡の確認できない工程まで記載されている。人の身体を支える医療機器だ。疑いがある以上、確認が終わるまで開発を進めるわけにはいかない。そう判断したのは怜司自身だった。部品供給と追加研究費を一時的に止める。ただし、高瀬を不正企業と決めつけるな。事実確認を急げ。数日前、怜司はそう命じて決裁した。その判断そのものを、今も間違いだったとは思っていない。問題は、その先だった。「まだ調査結果が出ないのか」向かいに立つ雅人へ尋ねると、彼はわずかに表情を曇らせた。「確認に時間がかかっております」「何にだ」「元になった記録と、関連部署のデータ照合です。高瀬側にも確認を求めていますが――」怜司は顔を上げた。「高瀬から返答は?」一瞬。ほんのわずかだったが、雅人の言葉が途切れた。「担当役員のところには、いくつか問い合わせが来ているようです」「問い合わせ?」「停止理由の詳細を示してほしい、と」怜司の眉が寄った。「それだけか」「と申しますと?」「高瀬会長が、何も言ってこないのは不自然だ」高瀬宗一郎を、怜司は長く知っている。自社に不正の疑いをかけられ、部品も資金も止められて、それで担当者同士のやり取りだけで済ませる男ではない。まして、身に覚えがないのならなおさらだ。「直接、俺と話したいとは言っていないのか」雅人は慎重に答えた。「先方も社内確認を進めている段階かと。情報が錯綜したまま社長同士で話しても、かえって混乱を招きます」
一ノ瀬雅人《いちのせ・まさと》は、黒崎グループ本社の役員室で報告書を閉じた。高瀬メディカルへの部品供給は止まっている。追加研究支援も保留された。安全性に疑義があるという報告を受け、最終的に停止を承認したのは怜司自身だ。患者の身体に直接関わる製品である以上、確認が取れるまでは動かさない。怜司なら、そう判断する。私情を挟まず、安全を優先する。だからこそ、雅人には利用しやすかった。「高瀬会長からの連絡は?」向かいに立つ管理担当者へ尋ねる。役員間の連絡経路を扱う男で、以前から雅人の頼みを断らない人間だった。「今日も社長との直接面談を求めています。問題とされた資料について、高瀬側から説明したいと」「社長には?」「まだ上げておりません」雅人は表情を変えなかった。「それでいい。担当部門で確認中だと返しておけ」「ですが、社長からは高瀬側の反論もすべて上げるようにと――」「上げないとは言っていない」雅人は静かに遮った。「整理してから上げる。それだけだ」一日遅れれば、判断も一日遅れる。数日あれば、高瀬はさらに苦しくなる。評価試験は止まり、代替部品を探しても、黒崎製のセンサーと小型モーターを前提にした制御系を簡単には置き換えられない。「高瀬から届いた資料も、いったんこちらへ回せ」「承知しました」男が退出すると、雅人は窓の外へ目を向けた。一ノ瀬エレクトロニクスも、かつては一ノ瀬家の会社だった。センサー。制御基板。精密モーター。会社も、社員も、技術も残った。だが、経営権だけは黒崎へ移った。今の雅人は黒崎本社の執行役員兼電子部品事業部長として、一ノ瀬エレクトロニクスを含む子会社を統括している。出世したと言う者もいる。雅人には、そうは思えなかった。
高瀬メディカルへの部品供給と、追加研究支援の一時停止を決裁してから、まだ一日も経っていなかった。黒崎怜司は執務机の上に残された報告書を、もう一度開いた。安全性確認資料の一部に不整合がある。検証条件と実測値が一致せず、正式な検査が行われたのか疑義が残る――。患者が実際に装着する義足へつながる開発だ。安全性に疑いがある状態で供給を続けることはできない。だから、止めた。最終決裁欄へ署名したのは怜司自身だった。その責任まで、報告を上げてきた人間へ押しつけるつもりはない。ただ、資料を読み返すほど、一つの違和感が残った。書かれているのは、あくまで「疑義」だ。それなのに報告全体は、読む者を自然に「高瀬が何かを隠した」という結論へ導くように作られている。怜司は内線へ手を伸ばした。「一ノ瀬を呼べ」ほどなくして、一ノ瀬雅人《いちのせ・まさと》が執務室へ入ってきた。「お呼びでしょうか」「昨日の停止決裁について確認する」怜司は報告書を机の中央へ置いた。「この資料は誰が取りまとめた」「電子部品事業部と品質保証部です。共同開発側から上がった資料も照合しています」「元データは?」雅人が、わずかに間を置く。「現在、確認を進めています」怜司の眉が動いた。「まだ確認できていないのか」「安全性に関わる問題です。完全な裏付けを待ってからでは遅いと判断しました」「停止したことを責めているんじゃない」怜司は低く言った。「決裁したのは俺だ。責任も俺が負う」雅人は黙った。「だが、停止することと、不正を断定することは別だ」「現状では、高瀬側の記録に問題がある可能性は高いかと」「可能性は事実じゃない」怜司は報告書の一頁を指で押さえた。「この数値が正式な検査結果なら、原データがあるはずだ。検査機
退院して数日が過ぎても、沙耶は自室で安静を命じられていた。出血は治まり、腹部の痛みもほとんどない。それでも医師からは、少しでも無理をすれば再び出血する可能性があると念を押されている。ベッド脇の机には、相川が運んできた高瀬メディカルの資料が積まれていた。「仕事をするなとは言われていません」沙耶がそう言うと、様子を見に来た宗一郎が呆れたように眉を上げた。「安静という言葉の意味を調べ直せ」「横になったまま読んでいます」「屁理屈だけは元気だな」そう言いながらも、宗一郎は資料を取り上げなかった。会社から完全に切り離したところで、沙耶が余計に気を揉むと分かっているのだろう。ただし一時間ごとに休むこと。相川から直接電話を受けないこと。判断が必要な案件はすべて宗一郎を通すこと。いくつもの条件をつけられたうえでの、限定的な仕事だった。午後、高瀬メディカルの開発責任者である佐伯が高瀬邸を訪れた。五十代半ばの佐伯は、沙耶が幼い頃から工房に立ってきた義肢装具士でもある。患者の歩き方を見る目は鋭いが、話し方はいつも穏やかだった。その日、彼は大きな金属製のケースを持っていた。「試作機をお持ちしました」蓋が開かれる。中に収められていたのは、共同開発中の電子制御義足だった。けれど、膝周辺には不自然な空白が残っている。本来ならそこへ組み込まれるはずのセンサーと小型モーターがない。ほんの二つの部品が欠けているだけなのに、機体全体が動きを奪われたように見えた。沙耶はしばらく無言で見つめた。「代替部品は?」「国内三社へ問い合わせています。ただ、黒崎製と同等の精度となると、すぐには難しいですね」佐伯が膝部分へ手を添える。「寸法が合えばいいという話でもありません。反応速度も違えば、出力特性も違う。別の部品を使うなら、制御側もかなり見直す必要があります」高瀬には、長年培ってきた調整技術がある。患者の身体を見て、わずかな痛みや違和感を拾い、義足をその人の生活へ馴染ませていく技術だ。それでも、目の前の試作機は止まっている。黒崎から届く二つの部品がないという、それだけの理由で。「性能を落とせば、評価試験に間に合わせることはできます」佐伯が言った。「ですが、坂道や段差での反応は鈍くなるでしょう」「それでは駄目です」沙耶はすぐに答えた。評価試







